青空な日々

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正しそうで反論しづらい概念への恐怖と自戒と対策

はじめに

Twitterで「正しそうで反論しづらい概念」という言葉を見かけて、
今まさにこれに苦しめられていたと思ったのと、
自分も同じことをやっていたかもしれないと思ったので、
考えた末にどうすればよかったかをブログに書いておこうと思いました。

この記事は思ったこと、あとから気づいたこうすればよかったのでは?という学びを書きたかっただけで、
愚痴や誰かを批判する意図で書いているつもりはありません。

目次


正しそうで反論しづらい概念とは

もとはこちらのブログに書かれていて見かけた言葉。

blog.tinect.jp

この記事では

自責思考が「圧倒的に良さげで反論しづらい概念」であること

という形で「正しそうで反論しづらい概念」という話が出てくる。
この記事では、自責思考が他人に強いる概念としては正しそうに聞こえ、
他人が反論しづらい概念であるということが書かれている。

つまり容易に相手の反論を抑え込め、あるいは反論させる気をなくし、
自分の意を押し通しやすい概念であると理解した。

最近受けた「正しそうで反論しづらい概念」

ことの起こり

とあるSlackコミュニティの雑談チャンネルで、
「(とあるプログラミング言語)界隈は「洗練された」とか「よりスマートな」みたいな言葉やたら使ってくるイメージある」
という発言が投稿された。

私はこの発言に乗っかって、

「何も考えずに「洗練された」とか「よりスマートな」書き方ができるようにして欲しい。
後から後からいろんな書き方が出てきて選ばなきゃいけないのツラミ。」

と発言した。

この発言に対し、最近その言語のことをディスり過ぎではないか?という苦言が呈された。
このSlackコミュニティにはこの言語が好きな人が多い可能性があったので、
この苦言はそのとおりであると感じた。

ここまでは「感情的に発言し過ぎてしまった、乗っかってしまった、良くなかったなぁ」とか、
「言いにくいだろうにわざわざ指摘してくれてありがたい」という気持ちだった。

「正しそうで反論しづらい概念」の登場

ここまでの流れに対して、まったくの別の人たちから以下のような趣旨の発言が投稿された。

  • 鬱憤を投稿しても良いがみんな見てる場所ということを忘れるべきではない
  • 大人なのだから喧嘩にならない書き方をしたほうが良いと思う
  • 人に嫌な思いをさせないとつらさを共有できないわけでもないと思う
    そう言う言い方しかできないというのは甘えだと思う
  • つらいならつらいって言えばいい話
  • つらいならつらいだけで終わらせずになんとかする
  • 愚痴ならDMかtwitterか通話が良いと思う


これらの投稿を読んだ私は全て正しいと感じた。
なにひとつ、間違いがない。

だけど、モヤモヤを抱いていることは事実だった。
それを言語化できないのも事実だった。

自分は何にモヤモヤしていたか?

そこでの会話はそのまま別の話題に流れていったので、それで終わった。

そのあと別のタイミングで一番最初にツライと発言した人と直接会話する機会があった。
そのときにハッと気づいたのは、その最初にツラミを共有してくれた人は何一つ救われていないことだった。

自分も含めてそのときにその場にいた人は言いたいこと、思ったことは発言していたが、
誰も最初にツライと発言してくれた人を救おうとはしていなかった。

結局自分が正しいと思うことで相手を殴って気持ちよくなっていただけなのではないか?
ということに気づいてしまった。
いわゆる〇〇棒で殴る的な行為に自分も他の人も加担していたのではないか?と思ってしまった。

つまり自分も今まで「正しそうで反論しづらい概念」を振りかざしていたかもしれず、
ツラミに乗っかった自分自身もこの「正しそうで反論しづらい概念」で嫌な思いをしていたのだと実感した。

これがモヤモヤの正体の大きな一つだったのだと今は思っている。

どうすればよかったか?

あとで気づいたのですが、
ツラミ共有の言い方の注意が出来るなら、それを注意するのなら、
「じゃあどうしたら辛くなくなるか、一緒に考えようぜ」と言ってあげるのが良かったのではないか、
と思いました。

今回のケースでは結局言い方が悪いというだけで終わっています。
確かに言い方が悪かった面はあったでしょう。
少なくとも乗っかった私は感情的だった、
周りの人に対する配慮が欠けていたのも事実だと思います。

では、その至らなさがあった場合、
最初にツラミを共有してくれた人は救われてはならないのでしょうか?
それに乗っかった私も救われてはならないのでしょうか?

そんなことはないと思うので、
「ツラミ共有の言い方に悪い面もあったが、そのツラミは分かるのでどうしたら良いか一緒に考えよう」とか、
「解決してほしさはなくてただ聞いてほしいだけならば、飲みに行きます??」とか、
自分ならばそう言えたら良かったと思います。

選択したのは逃げの一手

しかし、そのときはどうしたら良いか分からず、結局私は逃げることを選択しました。

それ以上その雑談チャンネルに居るとまた誰かのツラミに乗っかってしまったり、
自分のツラミをそこで垂れ流してしまうかもしれません。

そしてそこでまた誰かに嫌な思いをさせてしまったり、
自分が「正しそうで反論しづらい概念」で嫌な思いをする可能性があります。

そこでそのSlackの雑談系チャンネルからはすべて退出することにしました。
これが逃げの一手。

もともとリスクマネジメントの方針としてはシビアにとりがち(悪く言えばビビリ)なので、
性に合った選択、いつもやりがちな行動でした。

改めて思う「こうすれば良かった」

そんな中、別のSlackコミュニティでコミュニケーションは難しいという話をしていたときに、NVCの話が出てきました。
話の流れで実際にこの考えに基づいた議論、理解を深める会話ができたことで、
これは「正しそうで反論しづらい概念」へのひとつの対策になるのではないか?と感じました。

具体的な施策「NVC

NVCとはNonviolent Communicationの略で、
日本語に訳すと非暴力コミュニケーションとなるそうです。

私は以下の記事を見た後に今回のようなことがあり、
活用できそうだと感じました。

note.com

www.si-ght.jp


NVCがどういったものなのかは記事や元となった書籍を読んでほしいのですが、
以下の2点で活用できそうです。

  • 自分から発する言葉(感情)のチェック
  • 相手の言葉への穏やかな反応と状況の客観視


自分から発する言葉(感情)のチェック

今回のケースでは「ツライ」という感情をダイレクトに表現しすぎた、という反省点があると思います。
NVCのメソッドに則って、観察、感情、ニーズ、リクエストに分割して発すれば別の受け止められ方をされたと思います。

  • 観察
    • そのツラミ分かる。
  • 感情
    • 自分も同じようなツラミを感じているので解決したい
  • ニーズ
    • このツラミをわかってもらい、解決策を聞きたい
  • リクエス
    • このツラミを分かって欲しい
    • みんなどうしてるの?

いま冷静に捉えれば上記のようになりますが、
その場でここまで考えるのは難しいでしょう。
特にツラミから解決したいに気づけるかどうかはかなり難しいと感じます。

ですが、リクエストが「このツラミを分かって欲しい」だけになったのを客観視したとき、
あまりに自分本位であると感じるのも事実なのでそこから考え直すことができそうです。

こういった仕組みは経験や慣れによって改善される部分もあるので、
普段から活用していくのが良さそうです。

相手の言葉への穏やかな反応と状況の客観視

今回のケースでは相手の反応に正しいと思うがモヤモヤしていた部分に適用できそうです。

  • 観察
    • 相手の反言葉が正しいと思うがモヤモヤする
  • 感情
    • 相手が何か間違っているのではないか?
    • なぜモヤモヤするのか?
  • ニーズ
    • モヤモヤを解決したい
  • リクエス
    • あなたの発言は正しいと思いますが、モヤモヤします。
    • モヤモヤを解決するために協力してくれませんか?

書いておいてなんですが、うーん?という感じがします…。

ですが、あるかどうかも不明な相手の間違いを追求してしまうと答えが出ないので、
自分のモヤモヤを解決したい方向に考えられると建設的で良さそうです。

また自分のモヤモヤにフォーカスすることで別のこと、
今回のケースで言えば最初に投稿した人が救われていないことに気づける可能性は高まりそうです。

相手の間違いに囚われてしまうと自分を含めて状況を客観視できなくなるので、
そういう状態から脱するためにも使えそうです。

相手の間違いを考えても、相手のことなので正解は出せません。
自分のことなら納得できるのでそちらのほうが精神衛生上も良さそうです。

NVCの効果

NVCによって発信受信の前にワンクッション置けるのが良いですね。
また、コミュニケーションを4つに分解することで、
あとでふりかえりがしやすくなるという点も魅力的です。

特に感情を無視せずにきちんと表現している点は非常に好感が持てます。
得てしてコミュニケーションは我慢しがちなイメージなので、
それとこれは別だけど両立させようとする仕組みは非常に良いと思いました。

デメリットとしては実際に用いるのが難しい、という点です。

コミュニケーションにおいて失敗したと感じる時、
ほぼ全てが客観視できず感情や主観で発信したり行動してしまったときです。

その感情や主観に支配されてしまっているときにNVCの振る舞いができる気はしないですが、
練習しないでできるようになる(なりたい)もおこがましいと思うので、
失敗しつつ学んでいくしかなさそうです。

可能なら同じ悩みを感じる人々同士で、定期的にNVCふりかえりのようなことをやると良さそうです。
今週あったことに対してNVCに則って振り返ってみる、
実際にNVCを用いてみた例を共有して意見を求めてみる、
その反応もNVCでやれると良い練習になりそうですね。

さいごに

数週間ほど経って、ようやく落ち着いて考えられるようになってきた感じがあります。
コミュニケーション難しい(難しいオジサン)

親しき仲にも礼儀ありではないですが、
今もNVCを忘れてしまっていたなと思うのでなるべく意識していきたいですね。